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​川 

 

2018

祖母とわたし、ふたりで見る。
ひとつの風景がふたりのあいだを流れていく。 「夕やけの写真を撮ってほしい」
祖母の家に帰省した日、そう言われた。
祖母は趣味で油彩画を描いている。
モチーフとなるのはおもに花か風景、
そのどれもが写真を模したものだ。
写真が趣味の祖父が生きていて
まだ元気だったころは
祖父が国内外を飛び回って撮った写真を
祖母が絵にしていた。
祖母の家からすぐ近く

水俣川の河口の夕やけが
次の絵のモチーフとなるようだ。
「うん、撮るよ」
こんなかんじで写真を頼まれたのは二度目である。

一度目はその二ヶ月ほどまえ、祖父が亡くなって はじめてのお盆のときだった。
向かいの家の塀を飾るサルスベリの花を

絵にしたいと祖母が言うので
わたしは手持ちのデジカメで撮ったものを
大きく出力して渡した。

 


さっそくその日の夕暮れどきに、わたしたちは
夕やけを見に行くことにした。
水俣川まで5分ほどの道のりをふたりで歩く。

横断歩道を渡ればもうそこは川、というところ
歩行者信号の青が点滅している。
あっ。
祖母が膝をついて転んでしまった。
あわてて祖母を抱え上げて、横断歩道を渡りきる。 祖母の膝からはダラリと血が流れている。
目の前は水俣川、すこし先に海、
赤紫色に染まっている。
祖母とわたし、ふたりで見る。
わたしは写真を撮った。
祖母はそれを絵にするだろう。
ひとつの風景がふたりのあいだを流れていく。

_


祖父が所有する本の山だった書斎は ほとんどの本が処分されて 祖母の絵を置くスペースになった。 時は流れていく。

 

_

 

水俣川のはじまりまで歩いた。 行きは上り道で、帰りは下り道だった。 川は上から下へと流れていく。

 

_

 

水俣川のはじまりからおわりまでひたすらにつづく 下り道を、紙のうえでもういちど進む。 紙に角度をつけて、墨汁のしずくを息でふきのばしていく。 道の向きや坂のかんじを思いだしながら進んで くしゃくしゃになった紙は、山のようにみえる。

 

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水俣川にみえる線を引いていく。 水どうしが、岩が、木が、 ぶつかって流れのかたちを どんどんどくどくと変えていくさまをみると どうしようもできない 流れに身をまかせることしかできない。

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JR鹿児島本線の線路のすぐそばにある家で育った。 電車と、電車をとりまく景色は生活の一部だった。 ある日、終点の鹿児島駅から始発の門司港駅までの 上り電車に乗ってみた。

いっぽんの川を上るような気持ちで。

旅の経過の記録として

乗っているあいだじゅうずっと

紙を束ねたものにペンのインクをしみこませつづけた。

電車が門司港駅に向かって上っていくにつれ

インクは下へ下へとしみこんでいく。

先祖が行きた土地が、祖母が暮らす土地が、

よく見慣れた育った土地が、

ただの通過点として流れていく。

門司港駅に流れ着いたとき

ペンのインクがしみこんだ紙の束だけが

わたしがここまで来たということを証明していた。

 

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祖母と夕やけを見に行った道のりを

祖母とならんで歩いた道のりを

右足が祖母 左足がわたしとして

紙の上でもういちどふたりで歩く。

ふたりが歩いた軌跡で川ができた。

家系図ねんど.jpg
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